竹島切手騒動記

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ここに転載する「竹島切手騒動記」はたんぷる10月号に掲載されたものを発行人の山崎氏並びに執筆者の山内氏の了解を得ています。
この文中にも述べられていますように各方面からの問合せが殺到しました。その後、マスコミに大きく報道されるようになりました。
領土に関わる国益問題で有りながら関心の薄かった竹島問題に一石を投じられたのでないかと思います。
その点で竹島写真切手を発行された山内氏の行為は意義があったものと思います。

切手は国の意思表示の手段です。

2004年竹島切手騒動(写真付き切手にできること) 山内 次元

2004年竹島切手騒動の始まり
 今年116日、韓国は竹島(韓国名:独島・トクト)を題材にした記念切手(4種連刷の16面シート)を発行した。マスメディアが切手をニュースとして扱うことは珍しいことだが、この事実が明らかになった18日以降(最初の報道は産経新聞の速報らしい)、116日の発行日まで、韓国の竹島切手が政治問題として、新聞・テレビを賑わせた。竹島は、日韓で50年間にも渡って係争中ではあるが、メディアに取り上げられても、これまではすぐに沈静化して、何もなかったかのようにニュースから姿を消してきた。今回の竹島切手問題でも、同様の流れで、116日の発行後は、次第にメディアでは扱われなくなっていった。
 ところが、昨年からサービスの始まった「写真付き切手」がその流れを大きく変えた。竹島切手問題は、韓国世論はもとより、日本政府、郵政公社、外務省の姿勢にまで影響を及ぼしただけでなく、直接関係のない北朝鮮までも切手発行へ動かす結果となった。2004年の竹島切手問題は、116日の韓国での発行に端を発し、2月に竹島の写真付き切手を大量に申込んだ元大学助教授に郵政公社が拒否して終わるはずだった。ところが、すでに、116日に日本で竹島の写真付き切手が作成されていたことが、33日になって発覚し、作成を拒否されたこの元大学助教授がマスメディア、政治家も動かして、政治問題化して、大きくしていったというのが、今回の騒動の流れである。これを書いている20049月の時点では、一時より、沈静化したとはいえ、国会議員による竹島の写真付き切手申込を保留している状況であるために、いつ訴訟沙汰になっても不思議でななく、竹島切手問題は、郵政公社にとっては、依然として
悩みの種となっている。

最初の竹島切手は1954年の普通切手

 そもそも、竹島切手騒動というのは、今回が初めてではない。朝鮮戦争(19511954年)の最中、韓国の独裁政権イ・スンマン(李承晩)大統領は、一方的にイ・スンマン(李承晩)ラインを宣言して、韓国の勢力範囲に竹島を入れた。当時、韓国とはまだ国交のなかった日本はただちに抗議するが、その2年後の19549月には、韓国は竹島を武力占領し、日本漁船を排除するなどして、以後50年間、日本人は竹島に近づくことさえできなくなった。それを正当化するかのように、韓国では、同年915日に、竹島をデザインした3種の普通切手(2510ファン)を発行した。日本の世論は反発し、当時の日本の郵政省は、この切手を貼った郵便物の受取拒否を表明したが、実際には、そのような受取拒否の実施は、物理的に不可能であった。しかし、韓国側も、普通切手として竹島切手をそのまま使い続けるのは得策ではないと考え、すぐに、異なる新しいデザインの普通切手に切り替えた。その後、2002年までは日韓関係への配慮のためか、竹島を題材とした切手が発行されることはなかったが、韓国の竹島実効支配は、着々と進んでいった。

日韓ワールドカップ開催の2002年に竹島切手登場

 2002年はサッカーのワールドカップ日韓共催で、日韓関係はこれまでになく友好ムードに包まれたことは記憶に新しい。ところが、そのワールドカップ終了直後の8月1日に、どういうわけか、突如、竹島切手が発行された。これは、「我が故郷」というテーマで発行された32種(16地方自治体の風物を各2種ずつ紹介)のうちの1で、キョンサンプクド(慶尚北道)の風物の一つとして、竹島の全景写真が描かれている。切手には、韓国語で小さく「独島」(日本名:竹島)と書かれてあるが、その当時、韓国で竹島の切手が発行されたと報じた日本のマスコミはなく、日本政府、外務省はもとより、当時の郵政省も、その事実に全く気づかなかった。韓国ではこっそり発行した竹島切手であるが、このことが、竹島問題に対する日本の暗黙の了解として受け取られ、誤ったメッセージとして韓国側に伝った。その後、竹島を切手の題材にしても大した問題にならないと確信した韓国郵政は、20041月の竹島切手発行に至った。外交問題であるべき2002年の竹島切手発行に気付かなかった日本政府、外務省の情報収集能力は、日本の多くの切手収集家に周知の事実だけに、実にお粗末なものである。たかが切手、されど切手なのである。

■2004
年の竹島切手発行はなぜ中止できなかったのか

 韓国の切手発行計画(記念だけでなく普通切手も含んでいる)では、間際まで決定できない日本と異なり、前年の夏くらいまでに題材がほぼ決定される。しかも、大半の切手のデザインも決定しているので、切手のデザインが印刷された年間発行計画ポスターが、各郵便局に掲示されている。2004116日の竹島切手の発行も、2003夏には決まっていたようである。この時点で、もし、日本政府からの発行中止要請が、水面下で行われていたら、事をいたずらに荒立てたくない韓国政府も、発行中止に応じていたかも知れない。
 この竹島切手の件を、日本で最初に触れたのは、猪瀬直樹氏編集のメールマガジン「日本国の研究」269号(20031120日発行)の中で、日本の郵政問題を取り上げて連載している内藤陽介氏(郵便学者として活躍)の記述である。内藤氏は、「日本の郵政(12):韓国は竹島の切手を発行するか?」の中で、切手が外交問題に発展した1995年のアメリカの原爆切手中止騒動のようなドタバタ劇になることを憂慮していたが、この韓国の竹島切手発行では、残念ながら、氏の憂慮したドタバタ劇の展開になり、今なお尾を引いている 2004年の竹島切手発行を誘発したのは、先にも述べたように、20028月の竹島切手発行に日本政府が気づかず、全く抗議しなかったことが最大の原因である。2002の発行で、日本政府がきちんと抗議さえしていれば、それ以後は竹島切手発行を韓国郵政は自粛したことだろう。竹島切手のデザインが印刷されたポスターが韓国全土の郵便局に張り出され、切手も納品されて発売準備の段階となってしまっては、たとえノ・ムヒョン大統領であっても、国民の反発を恐れて、発売中止を決断することはできなかったはずだ。いずれにしても、116日直前の1週間ほどの抗議では、残念ながら、何を言っても、韓国政府は聞く耳を持てない状況だったということである。しかも、日本政府の抗議が、韓国世論に火をつけ、かえって竹島切手の人気を呼んだ。日頃、記念切手を買わないような人までもが郵便局に並ぶという一大ブームが起き、14万シートは即日完売した。韓国でも、日本同様に、すでに切手のブームが廃れ記念切手の発行数は激減しており、いつもしばらく売れ残る状況なので、韓国内でも久々の切手フィーバーとなった。190ウォンの16面シートは、1シート3040ウォン(約300円)の販売であるが、増刷しないことで、値上がり期待の切手商や収集家などの買占めにあい、直後には10倍以上の値で取引され、その後、高値安定している。かくして、2004年竹島切手騒動が始まった。

日本初の竹島切手が写真付き切手で登場

 116日の韓国での竹島切手発行が確実だということが分かったので、同日、私は、竹島を題材とした「写真付き切手」を作ることにした。デザインに使う竹島の写真だけでは、どこの島か、区別がつかないので、竹島の写真の下に「竹島TAKESHIMA」と入れた。また、通信販売では切手の仕上がりが遅くなるので、この日は午前中に新宿郵便局に出向いて、即日の作成をお願いした。
 日本では、写真付き切手は、2003419日からデモンストレーション販売が始まり、この時期は、新宿郵便局では、プリクラ型機械での人物撮影の他に、オリジナルの写真やデザインを持ち込んで、その場でシール式4面シートを作成してくれた。116日の韓国発行竹島切手に対抗上、作成した写真付き切手を使って、新宿局押印で同じく116日付の初日カバーも作成した。こうして、日本で初の竹島を題材とした切手が、写真付き切手の形で登場した。この日の作成は、初日カバー用をメインに考えていたので、少量しか申し込まなかったが、後日、改めて大量に申込んだ。この時点では、写真付き切手作成事務局では、竹島を題材とすることを、全く、問題視しなかった。
 結局、116日から2月下旬にかけて、新宿郵便局の写真申込でシール式の4面シートを100シートほど作成した他、東京中央郵便局で、通信販売用の「すまいる」「ほのか」、同じく通信販売用の「50円」「90円」でも少量作成した。かくして、219日まで、竹島の写真付き切手は、世間に注目されることもなく、騒がれることもなかった。竹島の写真付き切手は、大阪で221日に催されたジャパンスタンプ商会のバザール会場で初登場し、東京では36日のガレージセール会場で多くの人目に触れることとなった。それ以降は、竹島写真の切手は、二度と作ることができなくなった。

日本郵政公社の竹島切手拒否

 220日の新聞各紙に、元大学助教授の申込んだ「竹島」の写真付き切手が、郵政公社に拒否されていたことが大きく取り上げられた。発行の申込を行ったのは、元東京学芸大学助教授の殿岡昭郎氏で、氏名まで紹介していたのは、産経新聞のみであった。同氏は、26日に東京中央郵便局に写真付き切手1万シート(1000万円相当)の申込を行ったが、17日に公社から発行は認められないと回答されたという。公社はその理由を、(1)切手としてふさわしくない、(2)外交上問題を起こす可能性がある、と説明した。拒否された殿岡氏申込のデザインは、竹島の絵(写真を参考にした)の上に、日本国竹島という文字と日の丸が描かれたものであった。
 殿岡氏は、ただちに自民党の有志の国会議員に働きかけて、219日には郵政公社を管轄する麻生太郎総務相に、発行を可能とする措置を取るよう「申し入れ書」を提出した。これを受けて、翌20日の新聞報道となったと思われる。また、写真付き切手の申込から拒否までの一連の流れを、自身のホームページ上で詳細まで公表し、その中には、東京中央郵便局や日本郵政公社の担当者の実名が役職名と共に掲載され、波紋を呼んだ。ひとまず、この件は収まったが、この問題がさらに大きくなるのは、約半月後の33日のこと。

竹島の写真付き切手が発行済の事実が明らかになる

 私の作成した竹島の写真付き切手は、116日に作成されながら、ずっと公には知られてこなかった。竹島の写真付き切手の存在が、2ヶ月近く経った34日に、ようやく新聞紙上で明らかになった。ことのきっかけは、関西の切手収集家、森井氏のホームページに紹介された竹島切手の特集だと思われる。この時点で、日本の竹島の写真付き切手の画像を紹介したホームページは、森井氏のものだけ。このホームページの中に、韓国の竹島切手と、日本の竹島の写真付き切手が掲載されており、竹島切手発行の拒否を受けた関係者の目に触れたものと思われる。一方、森井氏のもとには、韓国から大量のいやがらせメールが届くなど、サイバーテロを受けたとのこと
で、現在では、メールアドレスを非公開にしている。韓国で竹島切手が発行された116日前後にも、竹島問題を扱った日本のホームページが、韓国からのサイバーテロを受け、被害が出たとの報告もあった。
 33日には、竹島切手の申込を拒否された元大学助教授の殿岡氏を国家基本政策協議会に招き、国会議員の勉強会が開かれた。この日には、郵政公社ですでに竹島切手(私の作成した写真付き切手のこと)が発行済だということが明らかになっていた。
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5日には、この国家基本政策協議会の議員数名が、マスコミを連れて東京中央郵便局に出向き、竹島だけでなく、北方領土、尖閣諸島をデザインした写真付き切手を申し込んだが、東京中央郵便局の窓口では異様な緊張感が漂っていた。
 一方で発行を拒否し、一方で発行済みという、郵政公社の一貫性のない措置が早速非難され、この34日に、郵政公社では誤って作成したとの釈明会見をすることとなった。また、同日付で、新宿郵便局の写真付き切手の写真申込のサービスが、機械の修理を理由に急遽中止となったが、再販売されないまま、結局、315日に正式に終了となった。さらに、郵政公社は34日に、ホームページで「竹島に関する写真付き切手の作成について」と題して、竹島をデザインとする切手を今後受け付けない旨と、韓国の竹島切手発行への抗議を日本政府からの声明として、万国郵便連合(UPU)に要請したことを公表した。同じく34日に、郵政公社から私のもとに、竹島写真付き切手を回収したい旨の電話があったが、お断りしたところ、それ以降はこの件で連絡はなし。
 産経新聞では、この竹島切手問題を37日付の社説で取り上げ、国益を損なう「発行拒否」と題して、郵政公社、外務省のあやふやな姿勢を厳しく問い質している。この竹島切手問題を社説で取り上げてマスコミとしての見解を述べたのは、産経新聞1紙だけで、残念ながら、竹島問題への日本のマスコミの関心の低さがうかがえる。
 こうして、34日から連日、新聞紙上を賑わせた竹島切手問題であるが、これをきっかけにして、平凡な写真付き切手だった「竹島」が大きくクローズアップされ、ネットオークション上でも、急に高値で取引されるようになった。当初1000円から1500円程度だったものが、15000円から20000円もの高値に変貌した。

竹島の写真付き切手の政治問題化

 4月に入ると、尖閣諸島、北方領土問題と並んで、竹島問題そのものが、マスコミを賑わした。47日には、超党派の「日本の領土を守るため行動する議員連盟」が結成され、自民党の森岡正宏衆議院議員が会長となった。森岡議員は、31日の衆議院予算委員会で、竹島切手問題で政府の姿勢を問いただした。ここでの答弁がきっかけとなって、外務省の竹島問題の記述が、より日本の立場を明確にするものへと変更になった。また、414日に発売された小学館発行の情報誌「SAPIO」の日本の領土問題特集は、前述の元大学助教授の殿岡氏の竹島切手に関する記述が詳しく掲載され、郵政公社の態度を硬化させた。同氏のホームページの内容とほぼ同様だが、やはり、郵政関係者の実名が掲載されたことが、波紋を及ぼしたようである。
 そのあおりを受けてか、日本郵趣協会が4月末の「スタンプショウ」で予定していた、写真付き切手のデモンストレーション販売の企画を、郵政公社が最終的に許可しなかった。421日に郵趣協会は、竹島切手作成者と郵政公社との間でトラブルが起きたためという歯切れの悪い理由で、写真付き切手の販売が中止となったと伝えた。
実際には、それだけではなく、「SAPIO」誌の竹島切手の記述の影響や、郵政公社と話を詰めないまま、見切り発車の形で写真付き切手の企画を先に進めていたことも、郵政公社の反発を招いたようである。郵趣協会は、代わりに写真付き切手10面シートの予約販売を行った。竹島切手問題の影響で、郵政公社はしばらくデモンストレーション販売を行われないと弁明していたが、「スタンプショウ」終了直後の55日、東京ディズニーリゾート内のイクスピアリでデモンストレーション販売が早速復活した。
 また、竹島を管轄する自治体である五箇村にある五箇郵便局に、竹島写真付き切手を貼って416日付の記念押印と実逓便を郵頼したが、郵政当局が非常に神経質になっていた時期のためか、押印したカバーが戻ってきたのは、6月になってからである。しかも、五箇郵便局での押印は416日の時点ですでに行われていたが、なぜか東京中央郵便局で約2ヶ月預かったままの状態になっていた。その辺の事情は、結局、説明のないままである。五箇郵便局差出で日本郵政公社内郵便局に宛てた実逓便も、約2ヶ月遅れの到着印が押されていた。

北朝鮮も竹島切手を発行

 日韓の竹島紛争に便乗するかのように、328日に北朝鮮も竹島切手を発行することを突如、発表した。発行は、420日で小型シート2種だが、実際に販売されるようになったのは、6月頃である。この切手に関しては、香港にある韓国人実業家の経営する映画配給会社(コスン・フィルム)が、独占販売権を取得したために、日本の切手商を通じての販売が一切ない。入手のためには、直接、香港のこの会社に注文するしかない。小型シート2点セットと、FDCや無目打シート、エアログラムなどが入った9点セットとがある。韓国の国内法に触れるということで、韓国への輸入は禁止されている。この社長のもとへ、6月に日本テレビの北京支局の記者による取材が
あったが、9月になってようやく夕方のニュースで放送された。

7月に竹島地図切手を作成
 34日の公式発表で、日本郵政公社は、竹島をデザインとする写真付き切手を受け付けないということだったが、7月になって、竹島地図デザインで写真付き切手を作成することができた。竹島の地図があまりにも知られてないために、何かの模様と判断したようである。結局、写真付き切手では厳格なデザイン審査は困難だということを象徴している。また、写真付き切手では、切手のタブに後からデザイン印刷をするものだが、耳紙の部分が広い切手を利用すれば、私製の写真付き切手で立派なものが簡単に作成することができる。 竹島切手問題で、いくら郵政公社が切手のデザインに神経を尖らせても、すでに発売されている切手のタブの部分に自分で勝手に竹島をデザインして印刷することは止めることができない。タブの部分が割りと広い水辺の鳥シリーズで、ためしに作った私製竹島写真付き切手で、915日付のカバーを作成した。この915日は、韓国が最初の竹島切手を発行して、ちょうど50年にあたる。
 写真付き切手では、郵政公社が申込者の責任をより明確にした上で、もっと幅広くデザインを受け入れるべきだろう。いくらデザインで門前払いをしたところで、結局、審査漏れになるものが出ることはやむを得ないことである。切手としてふさわしいくないというあいまいな理由で、写真付き切手の発行拒否をおこなっていけば、申込者との間でトラブルが絶えないはずである。現に、竹島切手の作成拒否をされている国会議員の中には、郵政公社を訴えるべきとの声もあがっている。切手のタブ部分への勝手な印刷が違法でない以上、公社の勝手な判断による写真付き切手の受付拒否は、もはや意味がなくなってきている。今後も、郵政公社の意向とは無関係に、第2、第3の私製竹島切手が登場することだろう。

竹島切手騒動の50

1954.09.15
韓国で竹島をデザインした3種の普通切手(2510ファン)を発行
2002.08.01
韓国で「我が故郷切手」32種の1種として、竹島切手を発行
2003.11.20
猪瀬直樹氏のメルマガで、内藤陽介氏が韓国の竹島切手発行計画を指摘
2004.01.08
日本の新聞各紙で韓国の竹島切手発行計画が取り上げられた
2004.01.09
麻生総務相が、日本でも竹島切手発行を検討の発言
2004.01.10
小泉首相の竹島は日本領土発言で、韓国世論が反発
2004.01.16
韓国で「竹島の自然」(4種)切手発売、大人気で、即日完売
2004.01.16
日本で「竹島の写真付き切手」を新宿郵便局で即日作成
2004.02.06
竹島をデザインした写真付き切手を元大学助教授が東京中央郵便局で申
2004.02.17
竹島のデザインを元大学助教授に郵政公社が拒否の回答
2004.02.19
自民党の有志の国会議員が麻生総務相に申入れ書を提出
2004.02.20
竹島切手拒否の件を、新聞各紙が一斉報道
2004.02.21
大阪のジャパンスタンプ商会バザール会場で竹島写真付き切手初登場
2004.03.01
衆議院予算委員会で、森岡正宏議員が、竹島切手問題を取り上げる
2004.03.03
竹島の写真付き切手がすでに作成されていたことが発覚
2004.03.04
公社が竹島切手作成済みの件で、釈明会見
2004.03.04
新宿郵便局での写真付き切手受付を一時中止
2004.03.04
郵政公社より電話で、竹島写真付き切手の回収要請
2004.03.05
国家基本政策協議会の国会議員グループが、写真付き切手を申込
2004.03.06
東京のガレージセール会場でも竹島写真付き切手登場
2004.03.07
産経新聞が社説で竹島切手の「国益を損なう発行拒否」を掲載
2004.03.15
新宿郵便局での写真付き切手の作成が公式に中止
2004.03.28
北朝鮮が竹島をデザインした切手の発行を発表
2004.04.07
日本の領土を守るため行動する議員連盟(超党派)結成
2004.04.14
SAPIO」誌の領土問題特集で、殿岡氏の記述が掲載
2004.04.16
五箇郵便局に竹島写真付き切手の記念押印を郵頼するが2ヶ月かかる
2004.04.20
北朝鮮が竹島をデザインした切手を発行
2004.04.21
スタンプショウ’04で、竹島切手を理由に写真付き切手のデモ販売中止
を発表
2004.07.
日本で竹島地図をデザインした写真付き切手を作成
2004.09.15
竹島切手問題50年記念カバー作成

  この文章は、山内氏の原文より転載しています。


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